
6年ぶりのシッキムへ
ダージリンの予定が終わり、向かったのはシッキム南部にあるテミ茶園。シッキム州政府が管理する茶園です。ご縁があって2003年から幾度となく訪れています。
前回訪れたのはコロナ直前の2019年。クローナルT383を使った、まさに薔薇のような香りのセカンドフラッシュを覚えている方もいらっしゃるかもしれません。この他にも個性溢れるお茶がたくさんあって、茶園でのテイスティングが楽しく、とても勉強になったのを覚えています。
シッキムはダージリンの北部に隣接していますが、ダージリンがウェストベンガル州に属するのに対し、シッキムはかつて「シッキム王国」だった背景もあり、シッキム州として独立しています。シッキム州は複数の国と接する国境があるため外国人の入域が制限され、一部国境に近いところでは立ち入りを禁じられている区域もあります。地理的にやや遠隔のため物流が滞ることも多く、日本はおろか、コルカタにいてもテイスティングできるお茶は限定的で、茶園の様子もなかなか情報が入ってきません。コロナを過ぎて6年経った今、果たして現地はどうなっているのか、茶園の様子を確認するために、そしてあの薔薇の香りのお茶を再び手に入れるために6年振りに訪問することにしました。

テミ茶園の変貌
現地に着いてまず驚いたのが観光客の多いこと。工場のすぐ側の道路沿いには屋台が軒を並べており、茶畑の中に置かれた「I♡TEMI」のモニュメントの前で記念撮影する人もたくさん見受けられます。
思い起こせばこのテミ茶園は6年前から観光客誘致には積極的に取り組んでいました。「I♡TEMI」も6年前には既に設置されていましたし、地域の人々の竹細工制作を支援したり、パラグライダーなどのアウトドア設備を作ったり、ゲストハウスを作ったりと、当時から地道に取り組んでいたことの数々がここに来て実を結んでいるようです。
昨今のインドの経済成長を背景に、インドでは国内外の旅行需要が拡大しており、ダージリンをはじめとした丘陵地帯は観光地としての人気が急速に高まっています。テミ茶園はそうした需要をうまく捉えたと言えるのかもしれません。

一方、工場を訪れると、前回までとは少し様子が違うのがすぐにわかりました。出迎えてくれたのは茶園のマーケティング部門の担当者。観光茶園によくあるような通りいっぺんの工場案内といった風情で、製茶についていくつか質問をしても的を得ません。どうやら製茶に精通した担当者がいないようなのです。
テミ茶園に到着した日は午後だったので既に製茶は終わっており、テイスティングとフィールド視察をすることにしていたのですが、テイスティングの準備もままならない様子。日常的にテイスティングをしているとは思えない状況でした。萎凋槽にも硬化した茶葉が入り混じっているのが見て取れます。翌朝製茶が始まる前に工場を訪れましたが、製茶工程を見るまでもないことは昨日のテイスティングで見た茶葉からもうかがい知ることができました。
経営が与える影響
こうした変化を目の当たりにし、前回2019年に訪れたあとに間も無く担当ディレクターの異動があったことを思い出しました。前任の女性ディレクターは茶業経験がある方ではありませんでしたが、いいお茶を作るための環境整備には積極的でした。ダージリンでマネージャー経験のある製茶アドバイザーを採用したり、工場内の整備や福利厚生に至るまで、ある種の改革とも言えるような取り組みを行い、それらが作られる紅茶のクオリティにも如実に反映されていました。茶園で働く人たちの表情も明るく活気があったように記憶しています。
冒頭でも触れた通り、テミ茶園は州政府が管理する茶園です。茶園管理を担当するディレクターは定期的に異動があるため、その体制が変わるごとに茶園の運営方針が変わります。観光にシフトした現在の茶園運営が果たして営業的にうまくいっているのかどうかはわかりませんが、現在のテミ茶園の状況を見る限りでは、以前のようなクオリティが作られるためには再び運営体制が変わるのを待つ必要があるということがわかりました。

ダージリンに思いを馳せる
さて、こうしたテミ茶園の変貌を目の当たりにして思いを巡らせたのは、お隣りのダージリンです。
気候変動、人手不足、ネパールをはじめとした周辺地域との競争など、様々な問題が重なり、ダージリンでは多くの茶園で経営が立ち行かなくなっています。茶業の不振と不安定な経営環境からオーナーチェンジするケースも多く、現存の茶園でもそうした噂は絶えません。
ウェストベンガル州政府は2019年に「ティーツーリズムおよび関連事業政策」を発表し、これまでのプランテーションにおける土地活用の制約を見直すことで、茶園内の余剰地をホテルをはじめとした観光に利用できるように改正しました。観光を経営のもう一つの柱として育てることができるように舵を切ったのです。
これを機に大きなホテルグループが茶園内に高級リゾートを作ったり、地元の人がホームステイをはじめることが近年急速に増えています。中にはホテル会社が茶園の経営に乗り出すケースも出ています。
しかしこれによって経営が安定したという話は今のところ聞きません。ホテル会社の手に渡った茶園では、長年製茶を見ていたアドバイザーが職を離れることになり、結果として以前のようなクオリティが作られなくなったようにも見受けられます。
そして今年に入ってウェストベンガル州政府から「余剰地の観光利用を(従来の15%から)30%に修正する」という旨の政策が発表されました。
「経営」と「クオリティ」
ダージリンの茶園でテミ茶園の話をすると、誰もが「昔は本当にいいお茶を作っていた」と口を揃えます。それほどまでにポテンシャルの高い茶園であっても、管理体制とともに運営方針が変わることで、みるみるうちにクオリティに影響が現れてしまいます。
茶業を続けていく上で安定した経営が不可欠であることは明らかです。しかし現在のダージリンの茶園運営と政策を見ているとテミ茶園の姿が重なり、一抹の不安を覚えてしまいます。
またダージリンの茶園を周っていると、本当においしい紅茶を見つけ出すのが年々難しくなっているように感じます。クオリティについては、気候変動への対応と世代交代に伴う製茶技術の継承が大きな課題として挙げられますが、なかなか進むべき道筋が見出せていないようです。
「ダージリン」という名前がこの先もおいしい紅茶の代名詞として存在し続けるためには、「経営」と「クオリティ」の両輪が必要です。果たして10年後、20年後のダージリンはどうなっているのでしょうか?ダージリンは今、大きな転換期を迎えています。